親の時計と、私の時計と。

時計一般

私が数年前から集め始めた時計は、セイコーとかシチズンとかの、今から約40年~50年ぐらい前のもの。1960年代の後半から1970年代の前半までのものが多いですが、この時代は、親が現役バリバリだった頃。おそらく、その当時、親も、私が今集めて持っているような時計をしていたでしょう。その時計を腕に付けて仕事をし、生活をしていたでしょう。

その当時、親がどんな時計をしていたか、全く記憶がありません。私は、時計にはそれほど興味がなかったからでしょう。もし、興味があれば、親の時計をしょっちゅう見ていたりして、記憶にも残っているでしょうから。

ちょっと前のこと。

もしかしたら、と思って親に聞いてみました。

「若いときにしていた時計とか、もしかしたらやけど。どっかに残ってたりする?」

そしたら親は当然のように、「そんなもん、残ってない」の一言。

親は、新しい物好き。電化製品なんかも、新製品が好き。普通の人よりも早めに買うタイプです。昔の人なので、道具とか、そういうものは、とても大事にしますし、物は全般的に大事にします。「もっと道具を大事にせえ」と、よく言われます。でも、古くなった電化製品なんかは、すぐに処分します。すぱっと気持ちよく。私の方が逆に未練たらしく、使いもせんのに残していたりします。。。

だから、昔付けていた時計なんかは、まず残してないやろうとは思っていたのですが、やっぱり、当時のものは残していませんでした。

親からすると、「そんなもん、残す訳ないやろうが。。。」という感じだったでしょう。予想どおりと言えば予想どおりですが、ちょっと、残念です。もし残っていたら、その時計から当時のことを、ああなんちゃうか、こういう理由でこの時計を選んだんとちゃうかとか、いろいろと想像もできたのですが。

先日、親を病院に付き添っていったとき、親が珍しく時計を付けていました。親の時計が目に付いたので、どんな時計やろうと思って目を凝らしてみると、形は今時の時計で、秒針はステップ運針です。これも当然と言えば当然で、親は特に時計に凝る、時計が好きという訳でもないですから、高級時計を持とうとかはしません。どこのメーカーのどういう時計かまでは見ませんでが、ぱっと見は普通の時計?のようでした。

その時、私が付けていたのは、シチズンのコスモトロン。

同じく電池で動くもののスイープ運針。ちょっと近くまで行くときにちゃちゃっと付ける場合には、やっぱり常に動き続けているクオーツとか電磁テンプの時計は便利です。

このコスモトロン。1974年製ですから、親も若く、元気一杯だったときの時計。

その当時の時計を、この2021年の現在において子供の私が付け、親は今時の時計を付けています。